musical instrument 『 悪夢からの来客 わんぱくスージー(musical jolly chimp )』
- 2013/06/01
- 07:41

[以下の文章はあくまで僕の個人的主観で構成している]
わんぱくスージー(英語名musical jolly chimp)は1970年代に一世を風靡したヴィンテージ トイである。
スージーは頭を叩かれると目が飛び出し歯を剥き出しにしてキーキーと奇声を発しながらシンバルを叩く猿。その発狂した姿は一般的な子供向けに製作されたおもちゃ特有の可愛らしさや愛くるしさとは程遠く、むしろその対極に位置するナンセンスやグロテスクという種類の代物だった。僕は世間の人気者の定説にNOを叩きつけたにも関わらず、時代を超え愛され続けるわんぱくスージーを優れたアーティストとして評価したい。
僕はその一度見ると忘れる事の無いスージーの異様な姿とサウンドを体験した日、幼年期に見た幻のような(いまだに現実に起こった事なのか夢であったのか定かではない)曖昧な記憶と少しの恐怖心がよみがえったのを覚えている。
もし今は亡きかつてのシュルレアリスムの創始者アンドレブルトンがわんぱくスージーの姿を見たならば、魔術的玩具だと歓喜を上げたかもしれない。それほどにわんぱくスージーが持つ狂気とメルヘンの超現実的雰囲気は突出したものがある。
そんなわんぱくスージーを僕は自己の音楽表現において重要なパートナーだと確信し客観的無意識、悪夢からの来客として迎え入れた。
スージーの打楽器のプレイスタイルはシンプルかつ独創的だ。ある一定の反復性をもってシンバルでリズムを刻むのだがそのリズム感はヴィンテージ玩具特有のアナログな電気仕掛けの生々しさ、すなわちタイムラグ(ズレ)がある。その有機的シンバル音とそれを稼働させる為の必要以上に騒がしい無機質なモーター音が合わさると奇跡的に子供が奏でたかのような無意識的で純真無垢な狂気のミニマルミュージックとなった。
歴史上一般的じゃないものが一世を風靡する事が類い稀にある。人はそれを革命と呼ぶ。わんぱくスージーもその中のひとつと言って良いだろう。記憶に残ることはいつも衝撃だ。なのに大体にして皆安全な物を好んで手に取る。安全なものは想像力を促す要素が極めて低い。安全な物を安易にモラルと定め自己の支配下におき、危険なものに対しては退屈で意味不明の存在だと想像もせず乱暴に黙殺し敬遠する。これでは人間の想像力は死んでしまう。世の中のアートが死んでしまう。残されるのは絶望だ。
僕は人間が持つ最大の力は想像であると信じている。1人の想像力が全ての希望に繋がることを僕は疑わない。その想像の原動力は幼年期に起こった衝撃の記憶であり、背後には必ず神秘と恐怖の景色が広がっているのだ。
アートを殺してはならない。《闇》から目を背けては、本物の《光》の射す場所へのパスポートは貰えない。娯楽に溺れてはならない。
僕の音楽の大事なパートナー、狂気とメルヘンのシンボル、わんぱくスージーは今夜も子供の悪夢に登場し
キーキーと泣き叫び発狂したシンバルで消えることのない幼年期の記憶を刻んでいる。
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